07.14
100分の1秒を縮めるため、肋骨の間隔を広げる
山口 美咲 競泳 北京・リオデジャネイロ五輪日本代表
スポーツを伝える手段として、もっとも分かりやすいのは映像だろう。決定的な瞬間をとらえたひとコマは、圧倒的な迫力を持って真実を浮き彫りにする。最先端の映像技術を駆使すれば、プレーヤーの技術を克明に解析することさえ可能だ。
とはいえ、映像は万能ではない。可視化できないものは、伝えることができない。そして、我々が視覚でとらえることのできないところにも、スポーツの真実は隠されている。
映像がとらえていない、とらえきれないスポーツの核心に、言葉で光を当てる──それこそが、スポーツを言語化する目的である。
山口美咲の言語化
「水感(すいかん)を高める」
パソコンで「すいかん」と打っても、変換候補に上がってくるのは水管、水干、酔漢などだ。一般的な日常会話にはほとんど出てこない単語であり、それゆえに「水感」と聞いてもイメージがつかみにくい。だが、五輪に出場するようなレベルのスイマーには、とても大切な感覚なのである。
競泳日本代表選手として活躍した山口美咲によれば、水感とは文字どおり「水」から「感」じるもので、「日によって水が軽いと感じられることがあれば、重いと感じられることもある」という。陸上で戦うアスリートが「身体が軽い」、「腕が振れる」、「足の運びがスムーズ」といった感覚を口にするように、一流の競泳選手は「水感」の違いに敏感だ。
競泳という種目は、「より多くの水を後ろに追いやって、身体を前に進める」ことを追求する。そのためには水をつかみ、水を押すことが重要で、「水感を高めることでより多くの水を後ろに追いやることができる」と山口は話す。
競泳選手は「手のひらや足の甲で」水を感じる。水をかいた瞬間に筋肉が受ける重さを察知して、水のとらえかた=つかみ方を微修正しながら推進力を高めているのだ。
競泳用のプールは国際規格で定められているが、水質は国によって異なる。軟水の日本に対して、欧州は硬水が主流である。「ひとかきが重く感じられる」のだ。
軟水の日本が舞台となる来夏の東京五輪では、「いいタイムが出るだろう」と山口は予想する。ちなみにアメリカのプールは、塩分濃度が高い。
水質はもちろん自身のコンディションによっても、水感は変わってくるのだろう。競泳選手が水感を高めることに神経を研ぎ澄ますのは、『泳ぎの効率化の最適化』を追求していると言っていいかもしれない。
「肋骨を意識して間隔を広げる」
これもまた、アスリートならではの感覚である。
山口によれば、「100分の1秒で進む距離は、女子では指の関節ひとつ分」とのことだ。長さにすればほんの数センチに過ぎない。しかし、世界のトップ・オブ・トップのレベルでは、そのわずかな違いがメダルの色を、表彰台に上がれるのかを隔てる。
肋骨を広げれば、腕の可動域が広がる。指の関節ひとつ分のタッチで、ライバルに先んじることができるかもしれない。
日常生活にも良い影響をもたらす。
肋骨の中には肺がある。肋骨を動かす(広げる)ことで、呼吸がスムーズになる。血流が良くなる。仕事に追われて倦怠感に襲われがちで、夕方になると目が疲れるといった人は、肋骨を広げることを意識して肩や腕を回してみるといいだろう。
肋骨を広げるといっても、実際は「1、2センチぐらい」だそうだ。
たったそれだけ、と言うなかれ。それで日常生活が変わるなら、やってみる価値はあるだろう。
「水泳から学んだことを、水泳以外の色々なことに結びつける」と山口は言う。競技の第一線から退いても、彼女の成長意欲は尽きない。
(文中敬称略)